俺は昔、最愛の人を亡くした。
一生愛して止まないあの人は二度と帰らない。
冷たい土の中で眠る愛しい人よ、美しい思い出だけ残して去ってしまった。
「はじめまして」
アレは俺がまだ半人前の陸軍の軍人だった頃…そう、まだ上京したばかりの頃
隣国の海軍大尉の息子として彼は軍の基地へやってきた。
隣国と国が手を結び、軍が和平しようとしているのだろう。
大尉が来るより子供の方が安堵するだろうという極まりない作戦だ。
海軍大尉の息子と聞いて、最初はどんな図体のやつが来るかと思ったが
「宝井秀人と申します。」
ペコリと下げた頭は小さく、顔を上げると笑顔で、よろしくお願いします。と言った彼は
透き通った淡い黒の瞳をしていて、肌は白く小柄で少し華奢だった。
まるで仏蘭西人形でも見ているような…。
「あれで男かよ…」
右手で、ぐっと髪を掻き分けると彼と目が合い、
ニッコリと笑って手を振ってくれた。
「名前なんてゆうん?」
説明会が終わったあと、彼は空いた俺の隣の椅子にチョコンと座り
上半身を前にだして俺の顔を覗き込むようにして言った。
右肩に掛かっている黒髪が光の屈折で綺麗に輝いている。
「櫻澤泰徳です」
俺がそういうと彼はケラケラと笑った。
ギュッと軽く俺の頬を抓り
「敬語禁止。俺の前ではタメ口でお願い」
屈託のない無邪気な瞳に今にも吸い込まれそうな感じだった。
「泰徳…んー。櫻澤さんってSakuraって感じやからSakuraって呼ぶ」
「べつにいいけど」
「俺のことは…秀人でいいで。」
「じゃあ、秀人。」
「何?」
「よろしく。」
俺が右手を差し出すと、彼は首を左右に振った。
「握手よりハグの方が俺的には嬉しい」
きっと不謹慎だったんだろう。
そのまま彼に誘われるように、唇をそっと重ねて抱きしめた。
そっと彼は俺の背中に手を回して、俺の背中を撫でた。
「一目ぼれ…」
彼は笑いながら呟いた。
「メッチャ恥ずかしいわー」
「そう?」
「うん。俺、今まで…」
本気で好きになったことないからさ
それから彼とは連絡を取り合い、訓練の合間は彼の行きたいところへ
そして彼は俺に観光案内と言いながら自分のお気に入りの場所へ連れて行ってくれた。
遠出するときは金がない所為で軍の訓練でいつも使用している
あちこちに穴の空いた、ガスタンクが詰まった戦車を少し改造した濃い緑の車を借りた。
偶にオイルの匂いがして、決していい雰囲気ではなかったけれど
彼はいつも俺らしい。と言って、助手席に綺麗などこのブランドなのかはよく分からないが
真っ黒な鍵穴マフラーを巻いて、真っ白な腰にコルセットのついた
長袖のワンピースを着て、決して綺麗とは嘘でも言えない助手席に座った。
給料を貯めてバイクを購入したとき、彼をツーリングに誘うと
彼はギュッと俺に抱きついて、少し頬を赤らめて、凄く嬉しい。と言った。
彼のためなら何でもできた。
彼の傍にいられるのなら。
彼の一言は俺の希望で
彼の一言は俺の命で
そして、俺の宝物だった。
御揃いの黒いヘルメットを買うと、俺のヘルメットの隣に自分のヘルメットを置いて
ニコニコしているので、どうしたのかと聞いてみると
「チューしてるみたいやろ?」
と少し照れたように言った。
顎に手を沿え、少しだけ持ち上げる。
彼が睫毛を伏せればそれOKの合図。
少し角度をを変えてゆっくり唇と唇を重ねる。
ふんわりとする感触がしっとりとなると、どちらからともなく舌を絡めて
二人の間に銀色の糸が伝う。
「いやらしい(笑)」
少し口を尖がらせるが、スグに俺の方を見つめて
声に出さず、愛してる。と言う。
Sakuraぁ…、人は死んだら海に帰るねんで
彼が死んだとき、俺はスグに海に行った。
彼とよく行った海。冬なのに彼は裸足で海に入り服を濡らしては
夏が恋しい。と言う。
彼の家は海の傍らしく、ここの国の海は寂しいと言った。
夏になっても静かな海、喜怒哀楽を見せないこの海はとても寂しいと。
いつか二人で海岸沿いに、豪邸とか庭付きだとかそういうことには拘らない…
小さくてもいいから、二人で暮らせる家を建てようと約束した。
彼の骨は俺が預かっている。
いつになるのか分からないけれど、いつか…いつか
海岸沿いに家が出来たとき、俺の亡骸と彼がそこに葬られることを願って…。
忘れたくない。
忘れたことなんてない。
どれだけ愛してたか、俺の中でどれだけの存在だったか…。
だけど、思い出したくないんだ。
どれだけ幸せだったのか…。
引き出しの奥には今も彼との写真が眠っている。
俺は決してそれを見ようとしない。
それなのに・・・。